I/O誌に発表された縦スクロールシューティングゲーム
「SOAR」です。
結構長いダンプリストを打ち込んだ覚えがあります。
スクロールするのは青いベースの部分で1ドット単位で下方向に流れていきます。これによって縦スクロールの感じが出ています。 敵も1ドット単位で移動、自機もテンキー2468で1ドット移動します。
初期のドクロから赤い玉の塊が何方向にも広がります。
敵の種類は多いのですが、そこまで撮れませんでした
m(_ _)m
すばらしきMB−S1の世界
1984年に誕生した名機、究極の8ビットパソコン 日立 MB−S1について語ります。
2012年3月29日木曜日
2012年3月28日水曜日
S1で遊んだゲーム その1
「北京」という麻雀パイを使ったゲームです。
「四川(省)」とか「青島」とか「二角取り」とか様々な名前がついていましたがこれは「北京」です。
S1専用に辻川さんがプログラミングした作品です。
1988年10月に発表されました。
エスケープキーを押すと遊び方の説明があります。
2回以内の移動で隣接すれば取れるというものです。
まるで製品版ソフトのような親切なソフトですね。
これはキーボードバージョンです。
この他にマウスバージョン、マウス&キーボードバージョンと
3種類存在していました。
マウスバージョンは牌の指定が楽でした。
(しかし、所有マウスが純正じゃなく訳の分からない鉄球マウスだったので重かった)
デモまでついていて、遊び方がこれで分かるようになってます。というか、単純なゲームなのですぐに理解できますよね。
「四川(省)」とか「青島」とか「二角取り」とか様々な名前がついていましたがこれは「北京」です。
S1専用に辻川さんがプログラミングした作品です。
1988年10月に発表されました。
エスケープキーを押すと遊び方の説明があります。
2回以内の移動で隣接すれば取れるというものです。
まるで製品版ソフトのような親切なソフトですね。
これはキーボードバージョンです。
この他にマウスバージョン、マウス&キーボードバージョンと
3種類存在していました。
マウスバージョンは牌の指定が楽でした。
(しかし、所有マウスが純正じゃなく訳の分からない鉄球マウスだったので重かった)
デモまでついていて、遊び方がこれで分かるようになってます。というか、単純なゲームなのですぐに理解できますよね。
2012年3月24日土曜日
拡張PSG&JOYSTICKインターフェースカード
S1モデル10AVはゲームと映像関係に重点を置いたマシンで、色もブラックだったのですが、実機を一度も見たことがありません。持っている人は居たのでしょうか?
映像関係ではビデオスーパーインポーズカードを搭載している事はわかるのですが、ゲーム関係での拡張はどうなっているのかわかりませんでした。
日立から基本3重和音のPSGを6重和音にまでにできる小さなPSGカードが発売されていたようですが、それを見たことがありません。「PHASE」誌7号にはJOYSTICKインターフェースとしてPIAポートに接続してJOYSTICKを使えるようにするカードがシステムBITから4500円で発売されているとの記事がありましたが、これも見たことがありません。
自分がS1に載せていたのは、この+3重和音のPSGとJOYSTICKインターフェースを1枚のカードにした製品で、日立純正では無く、どこのメーカーが作ったのか記憶に無いものです。(物忘れがひどすぎる)中部本多通商という会社(店?)が開発して発売したものです。
S1のBASICにはPLAY命令、SOUND命令が6重和音まで対応している上、JOYSTICK制御のコマンドもあるので、このカードでS1を十分に使い倒せるというものらしいです。それはさておき、
増設スロットに横に差すために拡張インターフェースカードが必要になります。しかも赤いケーブル線は基板上のPIAポートに挿すためのコネクタとケーブルで、これで入出力を制御するというもの。
ボード上の一番大きなチップがヤマハのPSGチップ。
S1の基板上にも付いているもので、このカードは部品点数がものすごく少ない。
AY−3−8910というチップ
このボードの取扱説明書によると、S1−BASICは増設されたPSGに関してPLAY文にバグがあるため、エンベロープ制御が正しく機能しないらしい。そのためにパッチ処理を行う必要があるとのこと。
JOYSTUCKインターフェースはATARI準拠で当時のPC−6001やMSXに使われていたジョイスティックなら接続が可能であるらしい。純正のインターフェースは1トリガのみのサポートだけど、このカードは2トリガまでサポートしていると書いてあります。ポート自体はジョイスティックからの入力と外部への出力もできるので、他の使い方もできるとのこと。他の使い方ってなんだ?
このジョイスティックポートが認識されて動いたゲームソフトは「ヴォルガード」だけだった気がしますね。
これはPIAポートに接続するコネクタとボード上の端子番号となっています。
このカードでは、JOYSTICKの6番と7番ピンが入出力可能なピンになっていて、PIAと同時にPSGにも信号が送られるように設計されているため、純正カードよりも様々な用途に使えるのだそうです。
開発した中部本多通商というのは秋葉原の本多通商から生まれた会社(店?)らしくてパソコン黎明期にはいろんなパソコン向けのハードやソフトを開発していたそうです。自分も秋葉原の本多通商にはちょいちょい訪れていたのですが、秋葉原らしい、怪しげなというか、マニアックな雰囲気を出していました。
なんと、そこの会長さんは会社を畳んだ後で「ぷらっとほーむ」というお店の店長さんをやっていたらしいです。「ぷらっとほーむ」にも結構行きました。同じ人のお店だったとは知りませんでしたが。
映像関係ではビデオスーパーインポーズカードを搭載している事はわかるのですが、ゲーム関係での拡張はどうなっているのかわかりませんでした。
日立から基本3重和音のPSGを6重和音にまでにできる小さなPSGカードが発売されていたようですが、それを見たことがありません。「PHASE」誌7号にはJOYSTICKインターフェースとしてPIAポートに接続してJOYSTICKを使えるようにするカードがシステムBITから4500円で発売されているとの記事がありましたが、これも見たことがありません。
自分がS1に載せていたのは、この+3重和音のPSGとJOYSTICKインターフェースを1枚のカードにした製品で、日立純正では無く、
S1のBASICにはPLAY命令、SOUND命令が6重和音まで対応している上、JOYSTICK制御のコマンドもあるので、このカードでS1を十分に使い倒せるというものらしいです。それはさておき、
増設スロットに横に差すために拡張インターフェースカードが必要になります。しかも赤いケーブル線は基板上のPIAポートに挿すためのコネクタとケーブルで、これで入出力を制御するというもの。
ボード上の一番大きなチップがヤマハのPSGチップ。
S1の基板上にも付いているもので、このカードは部品点数がものすごく少ない。
AY−3−8910というチップ
このボードの取扱説明書によると、S1−BASICは増設されたPSGに関してPLAY文にバグがあるため、エンベロープ制御が正しく機能しないらしい。そのためにパッチ処理を行う必要があるとのこと。
JOYSTUCKインターフェースはATARI準拠で当時のPC−6001やMSXに使われていたジョイスティックなら接続が可能であるらしい。純正のインターフェースは1トリガのみのサポートだけど、このカードは2トリガまでサポートしていると書いてあります。ポート自体はジョイスティックからの入力と外部への出力もできるので、他の使い方もできるとのこと。他の使い方ってなんだ?
このジョイスティックポートが認識されて動いたゲームソフトは「ヴォルガード」だけだった気がしますね。
これはPIAポートに接続するコネクタとボード上の端子番号となっています。
このカードでは、JOYSTICKの6番と7番ピンが入出力可能なピンになっていて、PIAと同時にPSGにも信号が送られるように設計されているため、純正カードよりも様々な用途に使えるのだそうです。
開発した中部本多通商というのは秋葉原の本多通商から生まれた会社(店?)らしくてパソコン黎明期にはいろんなパソコン向けのハードやソフトを開発していたそうです。自分も秋葉原の本多通商にはちょいちょい訪れていたのですが、秋葉原らしい、怪しげなというか、マニアックな雰囲気を出していました。
なんと、そこの会長さんは会社を畳んだ後で「ぷらっとほーむ」というお店の店長さんをやっていたらしいです。「ぷらっとほーむ」にも結構行きました。同じ人のお店だったとは知りませんでしたが。
2012年3月17日土曜日
家捜しして発見したテープ版ゲーム7「プロフェッショナル麻雀」
シャノアールという会社が作った本格的四人麻雀ゲームの「プロフェッショナル麻雀」がデータレコーダーの中から見つかりました。
何十年とデータレコーダーの中に入っていてまったく気づきませんでした。
麻雀は全くルールがわからないんですが、チートイツだけは知っていましたので、役はチートイツを作るためだけに頑張ってましたw
S1では初の本格的麻雀です。ハドソンから「ジャン狂」というゲームもありましたが、こちらの方が”プロフェッショナル”だけに本格的です。
なぜかバージョンは2.1
テープ版で4800円だったかな。
何十年とデータレコーダーの中に入っていてまったく気づきませんでした。
麻雀は全くルールがわからないんですが、チートイツだけは知っていましたので、役はチートイツを作るためだけに頑張ってましたw
しっかりした外箱とマニュアルが付いていたのですが、なくしました。
なぜかバージョンは2.1
テープ版で4800円だったかな。
2012年3月14日水曜日
家捜しして発見したテープ版ゲーム6「ストン・ボール」
5で紹介したMIAの落ちモノパズルゲーム「ストン・ボール」のテープ版も発見しました。
(テープ版を買っていたんですね)
S1なのにIGを使わずにグラフィック画面にキャラを描いていたので表示が遅い遅い。
もうちょっとサクサク動いていたら売れたかもしれないのにと思ってしまう。もっとS1の機能を活かしたゲームを作らないと駄目でしょ。って思う。(買った当時も思った)
「たまおとし」という名前も付いていたこのゲームはブロックの隙間を左右に動かすことでいくつかの玉を上から下に落としていって最終的に一番下のスペースに入れるという単純なゲームなんですが、頭を使います。だから遊ばなかったのかも。
テープ版で3800円でしたかね〜?高いと思う。
(テープ版を買っていたんですね)
S1なのにIGを使わずにグラフィック画面にキャラを描いていたので表示が遅い遅い。
もうちょっとサクサク動いていたら売れたかもしれないのにと思ってしまう。もっとS1の機能を活かしたゲームを作らないと駄目でしょ。って思う。(買った当時も思った)
「たまおとし」という名前も付いていたこのゲームはブロックの隙間を左右に動かすことでいくつかの玉を上から下に落としていって最終的に一番下のスペースに入れるという単純なゲームなんですが、頭を使います。だから遊ばなかったのかも。
テープ版で3800円でしたかね〜?高いと思う。
2012年3月10日土曜日
TeleStar S1 Club
S1のユーザーのよりどころ、TeleStar S1Club
「I/O」誌の工学社はパソコン通信にも乗り出してまして、「テレスター」というパソコン通信をやっていました。
その中に日立のパソコンユーザーのためのクローズドユーザーズグループ(CUG)である「S1Club」という組織がありました。
前身は「SunRisePCClub」と言いまして、「SunRise」は”日立”という意味ですね。「SRPC」はベーシックマスターレベル3からのユーザーを中心にしていましたが、その中にS1ユーザーが増えていったのです。
S1に通信機能を搭載したモデル15、45が発売されたときに、「SRPC」も名称を「S1Club」に変更して、S1の通信機能を十分に活かすようにとCUGは活発に活動をしていました。
このS1Clubにどれほどお世話になったかしれません。いまだにS1を大事に持っているのも、S1Clubとメンバーの皆さんが助けてくれたからだと思っています。
特に若くして事故で亡くなられた辻川さん。彼は日立のベーシックマスターやS1、6809にとりわけ詳しく、その話はとても勉強になりました。彼が持っていた膨大な量のフロッピーが手元にあります。形見だと思って大切にしています。
S1のハード、ソフトの充実はもちろん、初の「オフ会」や「スキー旅行」などパソコン通信で味わう楽しさを自分なりに体験していきました。
この冊子は「All That S1 Club」という、S1Clubのログをメンバーがまとめたもので、88年版です。(他の年のものを自分は知りません)
88年はパソコン通信も円熟期という感じでしたが、辻川さんが亡くなってしまったという悲しみをみんなで感じていた年でもありました。
冊子は分厚い本が上/中/下とあり、1年間を3冊でまとめてあります。
「I/O」誌の工学社はパソコン通信にも乗り出してまして、「テレスター」というパソコン通信をやっていました。
その中に日立のパソコンユーザーのためのクローズドユーザーズグループ(CUG)である「S1Club」という組織がありました。
前身は「SunRisePCClub」と言いまして、「SunRise」は”日立”という意味ですね。「SRPC」はベーシックマスターレベル3からのユーザーを中心にしていましたが、その中にS1ユーザーが増えていったのです。
S1に通信機能を搭載したモデル15、45が発売されたときに、「SRPC」も名称を「S1Club」に変更して、S1の通信機能を十分に活かすようにとCUGは活発に活動をしていました。
このS1Clubにどれほどお世話になったかしれません。いまだにS1を大事に持っているのも、S1Clubとメンバーの皆さんが助けてくれたからだと思っています。
特に若くして事故で亡くなられた辻川さん。彼は日立のベーシックマスターやS1、6809にとりわけ詳しく、その話はとても勉強になりました。彼が持っていた膨大な量のフロッピーが手元にあります。形見だと思って大切にしています。
S1のハード、ソフトの充実はもちろん、初の「オフ会」や「スキー旅行」などパソコン通信で味わう楽しさを自分なりに体験していきました。
この冊子は「All That S1 Club」という、S1Clubのログをメンバーがまとめたもので、88年版です。(他の年のものを自分は知りません)
88年はパソコン通信も円熟期という感じでしたが、辻川さんが亡くなってしまったという悲しみをみんなで感じていた年でもありました。
冊子は分厚い本が上/中/下とあり、1年間を3冊でまとめてあります。
2012年3月4日日曜日
家捜しして発見したテープ版ゲーム5「1941」
これはCAPCOMの有名な縦スクロールシューティングゲームではありません。
戦略シミュレーション「1941 帝国連合艦隊出撃」です。
当時は戦争シミュレーションゲームというのが流行ってました。
しかし、この出来はどうなんでしょう???
◯ソゲーに分類されるのではないかなと・・・(失礼)
MIAという会社は他にも「ストンボール、」というゲームも
作ってました。
テープ版で3500円。
内容の割に高い印象が。
戦略シミュレーション「1941 帝国連合艦隊出撃」です。
当時は戦争シミュレーションゲームというのが流行ってました。
しかし、この出来はどうなんでしょう???
◯ソゲーに分類されるのではないかなと・・・(失礼)
MIAという会社は他にも「ストンボール、」というゲームも
作ってました。
テープ版で3500円。
内容の割に高い印象が。
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